昭和は遠くなりにけり

港街から日々のよしなしごとを淡々と

神奈川フィルの運命

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神奈川フィルを聴きに神奈川県立音楽堂へ。
演目は、

J.シュトラウスⅠ(大橋晃一編曲)/ドイツ統一行進曲Op.227
モーツァルト/ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491
ウェーベルン弦楽四重奏のための緩徐楽章
ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」

モーツァルト+(プラス)」というテーマのシリーズなのだが、今回の裏テーマは「ナチスに利用された(排除された)音楽家」みたいなことらしい。

ポイントは指揮者の入らないアンサンブルで演奏するということで、ピアノ協奏曲の方は弾き振りというのもあることだし、何とかなるのだろうと思っていたが、果たして「運命」の運命や如何に?、ということ。

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コンマスの様子をじっと見ていたが、特に目立って合図を送るわけでもなく、楽団員も別にとまどう風もなく、熱量高く演奏していたのでさすがと感心。

プレトークで「3日間のリハーサル」と言っていたので、それくらい練習して事前にテンポを合わせておけば、「運命」くらいは指揮者がいなくても演奏できてしまうのがプロのオーケストラというものかと納得した。

壇上には49人いたはずなので(←第二楽章の間に数えた)、昭和の小学校ひとクラス+αくらいだから室内楽的にまとめられる規模なのかも知れないが、まあこれを聴けば、指揮者っていなくてもいいよね?、と思ってしまうのも無理はない。

正月の「芸能人格付けチェック」で、指揮者有り無しの聴き比べをやらせたら、GACKTは正解できるだろうか・・・?

 

個人的に一番楽しみにしていたのは、実はウェーベルンの「弦楽四重奏曲のための緩徐楽章(ラングサマー・ザッツ)」。
これはもうただひたすらに美しくて、本当にこれをあのウェーベルンが書いたの?と言いたくなる小品。生で演奏を聴くのは初めてだったが、素晴らしかった。

ウェーベルンがこの曲を書いたのは1905年、若干21歳の頃。その歳でこれが書けてしまうのだから、後はもう前衛へと突っ走っていくくらいしか道は残されてなかったよな、と思ってしまう。

シマノフスキの2曲の後に、埋め草のように収録されているのがまた泣ける。