昭和は遠くなりにけり

港街から日々のよしなしごとを淡々と

いじめの記憶

あんまり時事ネタっぽいことは書かないようにしようと思っていたけれど、この件については書き記しておきたくなった。

自分はフリッパーズギターコーネリアスもまともに聞いたことはないし(90年代に聞いていたのは、グランジとオアシスと真心ブラザーズ)、小山田圭吾という人に関心もなかったから、このインタビュー記事のことは今回初めて知った。
普通の感性を持っている人間なら、一度読んだら気分が悪くなって、二度と読み返そうとは思わない内容だろう。新聞やTVのニュースあたりで知った人が、40年も前のことで叩き続けるのはいかがなものか的な良識ある意見を述べるのも分かるが、原文に触れればなかなかそうは言えないと思う。
個人的には、障害のある同級生が母親の手を借りて書いた年賀状を嘲笑うところ。これはキツかった。

 

けれど、小山田とほぼ同年代の自分としては、確かにあの頃、70年代〜80年代前半にかけて、「いじめ」がとても身近にあったことを思い出す。

小学校の時、勉強が極端にできなくて(今なら学習障害などかも知れない)、バカにされていたAくん。
大阪から転校してきて、関西弁をからかわれ泣かされていた学級委員タイプのMさん。

中学校で、太っていて動きが鈍く、よく蹴られたり殴られたりしていたTくん。

一つ、今でもはっきり記憶していることがある。何かのきっかけで、Aくんと喧嘩のようなことになった時だと思うが、「100点と10点を勘違いしてるんじゃねーよ」というような嘲りの言葉を投げつけてしまったことがある。
他の細かいことは忘れてしまっていても、いまだに覚えているのだから、自分でも酷いことを言ってしまったという悔恨があるということだろう。

同じような、いじめにまつわる記憶の一つや二つ、持っている人は多いのではないだろうか。
多くの人が、ある時はいじめる側の当事者だったり、ある時は傍観者だったりしたのではないか。積極的に関与していなくても、消極的に関与してしまったことがあるのではないか。

 

自分はまったくいじめには関わったことがない。そういう行為を目にした時は、すぐに注意したり、先生を呼びに行ったりした。いつも、いじめられている子を支えていた。

そんな風に言える人はどれだけいるのだろうか。

いじめに絡んだ事件が起きて大きく報道されるたびに、あの時期に学校生活を送っていた世代は、多かれ少なかれ、そういった内心の葛藤や忸怩たる思いを持つ人が多いのではないか。

それが故に、小山田圭吾の露悪的な態度に対して、より強い嫌悪を感じてしまうのではないだろうか。

 

いま、子育てをしていて、いじめに対する学校側の対応が、あの頃とはまるで違うことを実感する機会が多い。
子供が小学校に入学する時に、校長自ら「いじめは絶対に許さない」と保護者に宣言していたし、いじめの芽があれば教師が丁寧に対応していた。特別授業のような形で、いじめについて学ぶ時間なども設けられている。保護者が学校に行く機会も格段に多く、常に大人の目が光っていると感じる。
あの頃は多少のいじめはほとんど放置されていたし、先生の対応も通り一遍で、大人たちは「やられたらやりかえせ」と言っていた。

もちろん今でもいじめはあるし、酷い事件が起きるたびに大きく報道されているが、総じて見れば良い方向に変わってきているのだと信じたいし、今回の事件がいじめは許されないというメッセージを強く発信したのであれば、それはそれで意味があるのだろう。