昭和は遠くなりにけり

港街から日々のよしなしごとを淡々と

『ドライブ・マイ・カー』とか

日本映画のダメなところは、とにかく何でもかんでも全てセリフで説明しようとするところ。

これは作り手の病気のようなもので、客はバカだと思っているから、全部言葉で説明しておかないときちんと自分の意図が伝わらないんじゃないか、と不安でたまらないからではないかと思っている。

娯楽大作的な作品ではもちろんのこと、アート系の作品でもそういうことがあって、例えば3月に観に行った『ドライブ・マイ・カー』。

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短いセリフと印象的な映像の積み重ねで淡々と描かれていて、さすがに海外の映画賞をいくつも受賞するだけのことはあるなぁと思って見ていると、後半になって重要なシーンに差し掛かるやいなや、登場人物たちが長ゼリフで自分の気持ちを吐き出し始めるので、ちょっと興醒めしてしまった。

 

という前振りがあって、話はふたたび『シン・ウルトラマン』。

庵野作品こそ、まさに饒舌かつ大量のセリフが放たれる日本映画の最たるものだが、それによってストーリーが分かりやすくなるとか、登場人物の心情が理解できるようになるということはなく、それどころか全く逆だったりもする。

膨大なセリフは説明のためというよりも、極端に言えば雰囲気作りの一環という位置づけでしかなくて、実は肝心なことは映像によって語らせるという映画の基本に忠実だったりするところが、庵野らしさの所以というか、彼の作品を唯一無二のものにしているのではないだろうか。

 

ところでどうでもいいことだが、『ドライブ・マイ・カー』は村上春樹だし、ビートルズの「Drive my car」が効果的に使われるのだとばかり思い込んで観に行ったのだが、エンディングに至るまで全く流れなかったので、盛大に肩透かしを食った次第。

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